虐待とまでは言えない

50代になったアダルトサバイバー。PTSDを経て強迫性障害に至るまで

8歳で気づいたこと

私自身は親から叱られる理由が

全く分からなかったので注意のしようも無く、
そしてどんな行動でも両親は気に入らず
「メガネを外しなさい」と言われたあと

(この言葉はすごく恐怖だった)

顔や身体を殴られました。


親は躾のつもりで多分手加減していたのでしょうが、

子供なので分かるはずなく

今夜こそ死んでしまうかもしれない…と、
学校からの帰宅中はいつも憂鬱だった。
(学校も大嫌いだったけど命の危険がないだけマシ)


叱られる理由がわからないので「謝れ」と言われても、

そこは納得できず謝らない。
すると親はますます怒ってエスカレートする。
死ぬかもしれないと思い始め怖くなってからやっと

「ごめんなさい。殺さないで。」と口先だけで謝る。

毎日その繰り返し。


その頃私は地獄の存在を信じていて、

叱られる自分は悪い人間だから、

死ぬと地獄に行くのだろうとそれが怖かった。


ある日その夜も同じように殴られ続け、

いつものように殺さないでと頼もうとした時に、

ふと『なぜ私は命乞いをするんだろう?

生きていても毎日殴られるだけで

他に楽しいこともない。

死んで地獄に行くのが怖いけど、

こここそが地獄なんじゃないか?』と

気付いたのです。
小学2年の8歳の時でした。


すっかり生きる気力がなくなってからは

親の暴力に怯えることはなくなりました。
死の恐怖が無くなったから痛みぐらいは

平気でした。


それから自殺が私の1番の関心事になったのです。
友達と遊んだり、習い事の楽器を弾くのを

楽しんだりしている時も、

常に自殺の文字が頭にこびりついていました。

 

言葉の方がいつまでも記憶に残っている

多分3歳ごろから始まった両親からの暴力。

いつも身体(主に顔)を素手や定規やアイロン台などで

殴られていました。

物で殴られた時はさすがに「物で」というのが屈辱的

だったので (子供が屈辱という感情を理解するのは

想像以上に早いと思う) 鮮明に覚えてますが、

他は以前に書いたように漠然とした記憶しかありません。

 

■ 恐怖より悲しみの方が心に残るみたい

逆に言葉のハラスメントは不思議と良く覚えていて、

印象的で今もふと頭に浮かぶ言葉には…

父「おまえは犬以下だから言葉でなく殴らないと

       分からない」

母「何を着せても似合わない」

母「男にだらしのない大人になるに違いない」

 

幼少期だけでなく40代で妊娠した時にも…

父「親になれる資格がない。子供は堕ろさせようと

      思った」(これにはさすがに父の人間性を疑った)

 

最近でも…

父「厳しくしなかったらもっとロクでもない

      大人になってた」

父「もう死のう」

     (私の駄目さを悲観して心中を持ちかけられた)

たとえ酷い内容でなくても父からきつい口調で

「電気を消せ!」「早く寝ろ!」と怒鳴られるのも

50代のこの年齢になって、まだ こんな事で(*_*)… と

落ち込みました。

 

人によると思いますが、少なくても私には

死ぬかもしれない暴力への恐怖より、

言葉の方が破壊力があるようです。

でも言った方の人間ってたやすく忘れるんですよね。

 

逆に10代の私が父に言った言葉…

「お父さんはバカだ。私ならもっと要領よく楽に

  稼げる」というのがあるらしく、

父は悔しくて逆に頑張れたと言ってますが、

私は全く覚えてません (-_-)

 

■ 嬉しかった言葉も残る

逆に短い言葉に救われたこともあります。

昨年実家でのこと。

酷い癇癪で私を蹴り続ける9歳の娘に母は

「私の娘に酷いことしないで」と叱りました (o_o)

私は生まれてから今まで母から褒められるようなことが

ほぼ無かったので、激しく動揺しましたが

後から何度も何度もこの言葉を思い出し、

何とも言えない嬉しい気持ちになったのです。

 

殴られる理由

生まれつき発達障害である注意欠陥障害があり

また非常に身体が弱かった私は随分育てにくい子供で

あったことは容易に想像できます。

殴られたり体罰が始まったのは多分幼稚園ぐらいから。

 

■ 叱られる理由はなんだったんだろう?

思い出そうとしてみる。

注意欠陥障害の特性か?いつも上の空で話が頭に

入らない。 集中できない、忘れ物ばかりに

時間概念がうすいとか…。 あっ、夜尿症もあった (TT)

反抗心や癇癪は無かったようだけど、言語能力が

高いゆえにかなり理屈っぽかったようなので、

自営でとてもハードワークだった両親は

イライラしたんだろうと思う。

 

■ 自分ではわからない

もう少し具体的に、毎日何が発端で体罰が始まるか

思い出そうとするが、その記憶は全くない。

手や物で叩かれたり蹴られていた様子は思い出せても

理由がどうしても思い出せない。

そもそも子供が悪意なくやった事だろうから、

当人もわけが分からないうちに急に怒鳴られ

叩かれてたんだろうと思う。

 

体罰が始まれば、ただただ怖くて

早く終わって欲しいとばかり考えているので、

何故叱られているかなんて考えてる余裕はない。

なので、その時の理由は全く何も覚えてないのです

ゆえに同じ過ちを平気で繰り返す事になるんだよね。

親の怒り損なだけではないか (-_-)

 

■ 負の連鎖を断ち切ろう

経験の上でその事に気付いてることが役に立っている。

娘を叱りたくなった時にふと頭に浮かぶ。

威嚇して恐がらせても親の方が疲れるだけで意味が無い と…

それで少しは冷静になれる という事は確か。

 

親との距離感

前回のブログで自分の両親について書きましたので、

今回は両親との現在の付き合い方について。

 

毒親からはとにかく逃げるしかないと聞きますが、

私の両親への気持ちは憎しみというより、

はっきりしない曖昧なもので、実際の生活でも同様に

曖昧に繋がっている状態です (-_-)

 

今、私と妹と両親はそれぞれ別地方に住んでます。

まぁ行くにはそれなりに時間とお金がかかる場所です。

この状態で約20年経つのですから、

これがベストな距離感であり、このバラバラな状態が

私達家族の歩んで来た結果なのだなぁと感じてます。

 

それでも孫はかすがいなのか姪や娘が生まれてからは

妹も私も帰省回数が増えたし親も喜んでます。

両親は孫達に対しては優しく接していて、それでまた

「この人達はやはり本来毒親になる人達では

なかったんだなぁ」と思ったりもします。

 

とは言え、実家は私にとっては未だに緊張の場… (-_-)

殴られることはもう無いとは言え、神経質な父から

いつハラスメントな発言を浴びせられるかと

常に気を張っている状態。

人の気持ちがわからない父は本当に傷つく言葉を

使います。私の人権も何も関係ない。

 

私の帰省は、妻が羽伸ばしに実家へ…なんて

平和なものではないのです。

 

また私は強迫性障害のため旅行やその準備が恐怖で

日が迫ってくると震えが出てくるほど (TT)

 

親に孫を会わせる仕事だと割り切っているのと、

頻度が少ないので、何とかこなせている感じですね。

寂しい考えだけど…

 

両親はかなりな高齢なので、そろそろ介護の問題も

始まりそうで、離れているとつい辛かった過去を

一瞬忘れて、同居を考えたりしてしまう時もあります。

で…  実際に会う度に打ち砕かれる羽目に (TT)

 

このベストな距離感のままいつまでいけるのか?

今は嵐の前の静けさ…という状況ですね。

両親は毒親と言うには中途半端

毒親と言ってもそれぞれ状況は違うしきっとタイプも

千差万別ですよね。ただ毒親というには子どもに

暴力やハラスメントなどを行なっているのだから

弁解の余地無しではありますが…

 

ただ自分の両親を見ていると、毒親全てが鬼のような

ヒトデナシと断言しづらいのです。

で、どうしてウチは中途半端な毒親なのか?を

考察してみました(-_-)   全て私個人の偏見です。

 

理由① 両親は基本的に善人で真面目。反社会性な

要素は全くありません。自営で大変な努力をしながら、

(ちょっぴり)成功した人たちです。  

真面目すぎたのかな?

子育てをちゃんしないと…  と、思い込みすぎてたと

思います。

 

理由② 時代性(A)

昭和ですからね〜。   躾と聞くとどうしても厳しい

イメージが付きまとう時代。

中学校の教師に殴られたこともありますから

叩くぐらいは普通だったんですね (TT)

幼少期に育った街はかなりガラの悪いところなので、

親もこれぐらい普通と思ったのかな。

 

理由③ 時代性(B)

私自身の発達障害。高IQのADD(注意欠陥障害)だった

ので、普通の子供よりかなり困難な子育てだったはず。

それだけでも大変なのに発達障害なんて言葉もなかった

時代なので、周りの理解も無く親は何とかしなくてはと

強迫的に追い込まれていたみたいです。で…  

 厳しすぎる躾と称したセッカンに至ったわけです。

 

理由④ 時代性(C)

好景気でしたね。努力が報われやすい時代でしたから

親は頑張りすぎてましたね。繁忙期はいつ帰宅したか

寝たか知らなかったぐらいですから。

そのぶん親にとっては報われることも多く、やりがいも

あっただろうけど、反面ストレスも多くて

そのはけ口にされた感は多いにあります。

家族のために無理した忙しさの代償が家庭崩壊という

皮肉… (TT)

 

理由⑤ 親の育った環境

祖父母は決して毒親では無いのですが、父は大人数の

兄弟の末っ子で放任状態に近く、早くに両親を

亡くしています。

おまけにおそらくアスペルガーらしく他人の気持ちが

想像し辛い。

母は複雑な家庭で育ち、中学卒業とともに家を出て

自立してます。

2人とも親の愛情を知らずに育ったから、子育ての

モデルケースがなかったんですね。

 

これもまた時代性に関わるけど、家庭というものを

よく知らない者同士が、何の疑いもなく家庭を持ち

子供を育てる。普通に結婚して普通に子育てして…

自然にできるって考えてたのかなぁ

 

何か時代のせいにばかりしたようでもありますが、

ニュースで見る監禁やネグレストや殺害する親だけが

毒親じゃない。私の両親のように中途半端な毒でも

子どもにはしっかり悪しき影響を与えます。

幾つかの要素が重なって、善き人が毒親になった場合、

自覚がないのがまたややこしく… (><)

 

私も娘に対してどーなんだ?と、自問自答する日々。

気をつけてないとね、

知らぬ間に陥る底なし沼なんですよ。

 

タイトルについて

PTSDの原因となった両親からの行為は、

主に殴る蹴る、夜に外に出されるなどの

身体的暴力と言葉によるハラスメントです。

 

ニュースなどで目にする虐待関連の事件のように、

監禁やネグレストなどと言った明らかな異常性は薄く、

ただ認識を間違えた厳しすぎる躾、時代性や環境の

要因が強く、虐待とはっきり決めつけるには

モヤモヤした感情が残ります。

親からの愛情も感じていたので特にそうです。

「…とまではいえない」と付けたタイトルは

このモヤモヤ感からです。

 

虐待を受けていたのに他の要因などで

被害者意識が薄くても子どもの心は確実に

ダメージを負います。

 

このブログはそんな曖昧な愛情と恐怖、時代性の

入り混じった複雑な状況を親から与えられて

育った子どもが歩んだ記録です。

 

PTSD (心的外傷後ストレス障害) =

実際にまたは危うく死ぬ、深刻な怪我を負う、

性的暴力など、精神的衝撃を受けるトラウマ

(心的外傷)体験に晒されたことで生じる、

特徴的なストレス症状群のことをさす。

(日本トラウマティック・ストレス学会

   webサイトより)

 

解離性健忘 - 幼少期の記憶について

幼少期の頃から遡って自分の経験をブログに書いていくのですが、

肝心の記憶がビジュアルではほぼ無しという状態 (°_°)
印象深かったいくつかのエピソードはボヤ〜と

映像が浮かび上がるのですが他は無し。

小学校にいたっては記憶自体がほぼ無い…(TT)

 

記憶が無いのは昔からなので加齢のせいではなさそう。

幼少期に過度のストレスを受けると脳の萎縮がおこり

記憶能力等が劣化すると聞いたことがあります。  

これかな???

あと解離性健忘*も考えられますね。

 

そんなパラパラの零れ落ちているような

記憶でも繋げていけばそれなりにまとまりそうです。

嘘や妄想では無いという確信はあるのです。

 

 

解離性健忘とは

強いストレスの原因となった過去のできごとや感情などの一部やすべてを忘れ、

思い出そうとしても思い出せなくなってしまうこと。

(LITALICO発達ナビより)