虐待とまでは言えない

50代になったアダルトサバイバー。PTSDを経て強迫性障害に至るまで

言葉の方がいつまでも記憶に残っている

多分3歳ごろから始まった両親からの暴力。

いつも身体(主に顔)を素手や定規やアイロン台などで

殴られていました。

物で殴られた時はさすがに「物で」というのが屈辱的

だったので (子供が屈辱という感情を理解するのは

想像以上に早いと思う) 鮮明に覚えてますが、

他は以前に書いたように漠然とした記憶しかありません。

 

■ 恐怖より悲しみの方が心に残るみたい

逆に言葉のハラスメントは不思議と良く覚えていて、

印象的で今もふと頭に浮かぶ言葉には…

父「おまえは犬以下だから言葉でなく殴らないと

       分からない」

母「何を着せても似合わない」

母「男にだらしのない大人になるに違いない」

 

幼少期だけでなく40代で妊娠した時にも…

父「親になれる資格がない。子供は堕ろさせようと

      思った」(これにはさすがに父の人間性を疑った)

 

最近でも…

父「厳しくしなかったらもっとロクでもない

      大人になってた」

父「もう死のう」

     (私の駄目さを悲観して心中を持ちかけられた)

たとえ酷い内容でなくても父からきつい口調で

「電気を消せ!」「早く寝ろ!」と怒鳴られるのも

50代のこの年齢になって、まだ こんな事で(*_*)… と

落ち込みました。

 

人によると思いますが、少なくても私には

死ぬかもしれない暴力への恐怖より、

言葉の方が破壊力があるようです。

でも言った方の人間ってたやすく忘れるんですよね。

 

逆に10代の私が父に言った言葉…

「お父さんはバカだ。私ならもっと要領よく楽に

  稼げる」というのがあるらしく、

父は悔しくて逆に頑張れたと言ってますが、

私は全く覚えてません (-_-)

 

■ 嬉しかった言葉も残る

逆に短い言葉に救われたこともあります。

昨年実家でのこと。

酷い癇癪で私を蹴り続ける9歳の娘に母は

「私の娘に酷いことしないで」と叱りました (o_o)

私は生まれてから今まで母から褒められるようなことが

ほぼ無かったので、激しく動揺しましたが

後から何度も何度もこの言葉を思い出し、

何とも言えない嬉しい気持ちになったのです。